今日は「渋谷系狂騒曲」という本のレビューをします。
渋谷系とは、90年代前半に起こったムーブメントで、音楽を中心としてファッションやライフスタイルに影響を与えました。
一般に渋谷系として分類された著名なアーティストとしてはコーネリアス、フリパーズギター、スチャダラパー、ピチカートファイブなど。音楽ジャンルはポップス、ロックからヒップホップ、ジャズと多岐にわたります。(ぼくはピチカートファイブがすきです)
共通していたのは「渋谷で売れた」こと。
渋谷系として分類された、としたのは、このムーブメントでは自らを渋谷系であると宣言をしたアーティストはほとんどいなかったからです。
つまり、このムーブメントは渦中のアーティストが起こしたのではなく、周囲の人間が起こしたムーブメントだったのです。
なぜか渋谷で売れるタイプの音楽があった。それを周囲が渋谷系と呼んでいました。
バブル崩壊をきっかけとしてオトナたちは暗い雰囲気に包まれていました。
そんななか、トレンドに敏感な若者たちは新しいタイプのカルチャーを探して渋谷をさまよい、それが大きく盛り上がっていったといえます。
――でも今思えば、なんでそんなにみんなレコード聴いて、本読んで、映画観たりできたんだろうと思いますよね。どういう時間の使い方していたんですかね。
渋谷系狂騒曲 pp. 91
志摩 本当に。当時は今よりも情報が少ない分、皆さんカルチャーに対して貪欲だったんでしょうね。
日本の過去の音楽シーンや、様々な海外の新規ジャンルを取り込んでいったのも特徴的です。
ネオGSシーン界隈で活動していたバンドはだいたいみんな60年代の音楽に影響を受けていました。僕らはガレージ・ロック、ワウ・ワウ・ヒッピーズの小暮くん、白根くんやレッド・カーテンの田島くんはサイケ、ザ・コレクターズの加藤くんはモッズとか、それぞれ指向性は異なりましたけど、自分たちのサウンドを追求するうえで60年代の音楽を参照していたという点では共通していました。
同 pp.39-40
――海外の新たなシーンとリアルタイムで連動していた感じがありますよね。
同 pp.104
LOW IQ 01 そう。だから面白かった。90年くらいって、アメリカを中心にミクスチャーのバンドが出てきたり、あとイギリスだとマンチェスター・ブームとか、いろんな新しい音楽が同時に出てきたよね。日本でもそういう感じがした。あと、あの時代でいえば、ガス・ボーイズもインパクトあったね。
改めて渋谷系の音楽を聴いてみると、我々の日常そのものをポップなものとして捉えようとする動きだったのかなとも思います。これは日本の当時の空気感に対する若者たちによるカウンターカルチャーとしての性質が強かったのでしょう。そう考えると、渋谷系というワードが広まるにつれて商業的な戦略が増え、ムーブメントは収束に向かったというエピソードは当然のように感じます。(文化が生き続けるためにお金は大事なのだけれども、面白いものはお金にならなかったりすると改めて思いました。)
渋谷系は”ポップ”なムーブメントだったわけですが、もしその当時にいまほど成熟したケモノ文化があったとしたら、ケモノ文化も渋谷系として消費されることがあったのかもしれないと考えています。
ケモノキャラクターたちはポップなイラストや音楽と相性もよいですし、着ぐるみ文化にあるフロア文化と化学反応を起こしていたかもしれないとも思うのです。
CDのジャケットをケモノイラストが飾り、着ぐるみが渋谷を歩き回るそんな日があったかもしれません。
ケモノ文化もある意味では日常をポップに過ごそうとする文化なのかもしれません。ただし、その点では一致するかもしれませんが、彼らが流行として渋谷系を捉えていたのに対し、ケモノを流行として愛しているという人はそう多くはないことは大きな違いです。
その点、消費尽くされるということはない、と安心しています。
我々ケモナーが渋谷系のムーブメントから学ぶべきは、「渋谷系が一番盛り上がっていたのは、メディアが渋谷系で盛り上げる前」というところにあるかもしれませんね。
おまけ:ピチカートファイブ「東京は夜の7時」