雑文

Philosofur extra 5は禁書にすべき恐ろしい本だった

投稿日:2020年2月22日 更新日:

せっかくサイトを公開したのにもかかわらず掲載されているものが少なすぎると寂しいな、とも思いまして文章を公開することにします。
さて何を話題にしようかと考えていたのですが、つい最近”Philosofur extra 5″という同人誌を手にしたので、その感想やら思ったことを書いてみようと思った訳なのですが、このセンセーショナルなタイトルの通り、とても恐ろしい本だったのです。

このままだらだら書いていってもいいのですが、長々と読んでいくのが苦手な人が多い時代だというので、要約を先に置いておきます。

  • “Philosofur”という同人誌シリーズのサブシリーズ”Philosofur extra 5″で「ファーソナ」を特集した
  • そこで行われたアンケートの回答によって「ファーソナ」の意味は人によって大きく幅をもって異なっていることが明らかになった
  • それによりもはや「ファーソナ」ということばは何の意味を持たないことになってしまった
  • それは困るので”Philisofur extra 5″は禁書にしましょう。
  • もちろん半分冗談なので真に受けないでね。

Philosofurってなに

そもそもここで出てくる”Philosofur extra 5″ってなんやねん、という人も多いと思うので、そこから紹介します。

“Philosofur”とはPhilosofur編集部が刊行している同人誌シリーズで、2020年2月現在2巻まで刊行されています。残念ながらぼくは1巻を読んだことも見たこともないので刊行の背景や方針を詳しくは知らないのですが、ざっくりとケモノに関する話題について論じる文章が掲載されており、内容は歴史から文化研究まで幅広く紹介されています。”Philosofur extra. 1″には「記録に残さないと、歴史ならない」といったことが書かれているので、日本におけるケモノのなんたるかを残しておくことに何らかの意味があるだろうということを目的にしているのだろうと察せます。この意見にはぼくも同意で、ことばを文章として残すことには、twitterのようなところにことばをバラバラにしておくこととは大きく違う価値があるように感じます。何より、一定以上の長さの文章であることで、その考えに至る流れがわかるのがよいですね。twitterに信憑性があるのかないのかわからないことばが散らばっていて、ソースは?が合言葉になってる時代において、信頼があることばを生み出す試みのひとつとしてとても良いと思います。

んで、このPhilosofurシリーズにはextraシリーズというPhilosofur本誌シリーズの補完となる小冊子シリーズがあります。小冊子シリーズとはいうものの、extra. 1とextra. 2はポスターの裏面に文章がずらーっと載っているという冊子とは呼べない形式ですが。このextraシリーズでは、対談の書き起こしやエッセイなどの本誌には載らないような軽い文章が掲載されており、最新のextra 5ではさらに変化球として、アンケートを実施し、その結果を列挙するという形式を取っています。

「ファーソナ」とは何か?に迫った”Philosofur extra 5″

さて、”Philosofur extra 5″ではケモノコミュニティではよく耳にする概念「ファーソナ」にフォーカスを置いて、アンケートの回答とエッセイを紹介しています。

ところでぼくにもランピィという「ファーソナ」がいます。ぼくにとってランピィとは自分自身であり、ランピィの考え、行動とはすなわちぼくの考え、行動なのです。ランピィは着ぐるみとしても存在していますが、この着ぐるみを着ることはランピィの身体になるという以上の意味はないと考えています。キャラクターとして着ぐるみを操演する人もたくさんいますが、ぼくにとってランピィの姿になることは全くそういう話ではないのです。

さて、ランピィの話をしだすと止まらなくなってしまうので話を戻すと、この冊子では、前書きに「あなたが『ファーソナ』について考える良き手がかりとなってくれれば幸いである。」とあるように、冊子を通してファーソナについてみんなで考えようぜ、ということを目的としているようでした。

これに合わせて行われたアンケートとは、「あなたにとって≪Fursona≫とは何ですか?」というもので、回答は文章形式でした。ちなみにぼくもぼくなりに抽象的に回答してます。本冊子を持っている人はどれがぼくか当ててみてね。
んで、本冊子には回答を整理することなく、ひたすらいろんな人が考える「ファーソナ」がずらりと並べられていました。どうやらここから何を読み取るかは読者に委ねる、ということのようです。

「ファーソナ」ということばは何の意味も持たない

この回答群を読んでみると、人によって「ファーソナ」の意味が全く異なっていることがわかります。中には、完全に相反している内容まであります。考えてみればそりゃそうなるわなって気もしますが。

そもそもファーソナということばは、正直あんまり歴史をよく知らないのですが、Furry fandom内で自然に生まれてきたことばのようです。もちろんその語源は人間でいうPersonaです。PersonaのFurry版なのでFursonaということですね。その語源となったPersonaはスイスの心理学者ユングが提唱した概念で、wikipediaの端的な説明によると「人間の外的側面」とのこと。もともとPersonaとは、演劇の時に役者が被る仮面の意味があるのですが、それをもとに、人間が他者に見せる側面のことをPersonaと呼んだわけです。このことばの意味からひもといていけば、Fursonaというものも人間が他者に見せる側面をFurry的に表現したもの、ということになりそうです。しかし、先述したように、このことばはFurry fandom内に自然に発生したもの。つまりは誰かが定義したものではないのです。その結果、個人個人思い思いの解釈によって、自分自身の一側面をケモノに見立てたものから、自分がなりたい姿、はたまたケモノコミュニティとの媒介役などといろんな意味を持って使われているようです。

そのことは今まで触れられてきませんでした。ブラックボックスだったわけです。だからこそ、いろんな人が「このケモノが私のファーソナだ」と主張をしてきたわけです。しかし、この小冊子が、ファーソナということばの意味は人によって異なるということをしっかりと示してしまいました。ファーソナということばが持っている意味は非常に幅広いものだということを明らかにしてしまいました。ファーソナの多義性を認めることを前提としたとき、ここで採るべき態度は2種類しかありません。

  1. ファーソナということばの多義性の中に共通する概念を見つける
  2. ファーソナということばを見捨て、新しい概念を作る

今回の回答の結果を見る限り、1番の選択肢を選ぶことは茨の道であるように感じます。どれだけ茨の道か気になる人はぜひ自分で”Philosofur extra 5″を手に入れて体感してみてほしい。そうすると、2番の選択肢を選ぶしかありません。ファーソナということばはもはや意味をなさないことばとして受け入れるしかないわけです。ファーソナについて考えようと本企画は組まれたようですが、その結果ファーソナということばについて考える余地を奪ってしまったように感じられてなりません。まるで神の存在を証明しようとした結果、神は存在しないという結論を出してしまったゲーデルのようです。ちなみに本家Personaに関するペルソナ論というものがあるのですが、そちらもいろんな派閥があって、これがペルソナだ、いや違うという議論が日々行われているようです。便利すぎることばは時として言論上でもめてしまうのは仕方ないことですね。

ランピィをファーソナだと紹介していたぼくにとってはこんなに困ったことはありません。そこで、提案です。”Philosofur extra 5″を禁書にしましょう。なかったことにしてしまえば、今まで通りファーソナということばを使い続けることができます。その中で、ファーソナとはこういう方向でいきましょう、と方向付けていくことは可能でしょう。どうですかね、だめですかね。まあだめと言われてもぼくはランピィはぼくのファーソナだと言い張りますが。

とはいえ、この小冊子および”Philosofur””Philofur extra”シリーズは非常に面白いのでぜひ読んでみてください。
公式Twitterはこちら: https://twitter.com/philosofur_edit
性格悪いので最後に宣伝しました。

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