文藝2021夏号にて「もふもふ文学」が特集されました。
今回は「もふもふ文学」とケモノ文学の関係について紹介したいと思います。
特集「もふもふ文学」
獣と家畜――我らに先んじて存在したもふもふたち。
文藝 2021夏号 pp.23
特集では以下の8つの小説作品と数点の論評が紹介されています。
まずはそれぞれの作品のあらすじを紹介します。
古川日出男「雨夜の品定め」
寒いイタリアンレストランに閉じ込められた4人。寒さを和らげるため、お互いもふもふな生き物が登場する創作シナリオを紹介し合う。
小山田浩子「心臓」
小学生2人が河原で捨てられた子犬を見つける。犬はケガを負っているようで、治療をしなければならなかった。
カミラ・グルドーヴァ 上田麻由子 訳「ねずみの女王」
ゴシック様の建物に住む女性。彼女は抑圧された生活の中、毎晩夢か現実か、ネズミの姿に変身する。
高山羽根子「今も氷河期の最中だから」
就活中の大学生2人。一人はもふもふしたものが大好きで動物や奇祭での仮装を紹介する。
酉島伝法「もふとん」
どんなに疲れていても快適に眠ることができる「もふとん」というものが存在するらしい。ある日もふとんが街中に現れ始める。
ふくだももこ「4074」
予定日を過ぎても赤ちゃんは産まれなかった。不安と期待を持ち続ける日々が続く。
川瀬慈「さくら荘のチュルンチュル」
さくら荘には様々な人が住む。チュルンチュルは彼らのことを語り出す。
雛倉さりえ「登山日記」
登山は常に命の危険を伴うが故に人生を振り返るきっかけとなる。かつてウサギの肉を食べたことがあることを思い出す。
感想
全体的には、そこまで「もふもふ」してないじゃないかというのが大きな印象だ。一部の作品を除き、作品中に動物が登場する程度。
その一方で、毛が生えた幻想生物が登場する作品もある。どちらかというとこちらの方がケモノっぽい。
しかし、決定的に我々がケモノ文学と呼んでいる作品群と異なっているというのが感想です。
キーワードは擬獣化。
擬人化の人が人間であるように、擬獣化の獣は動物ではなく獣人を指します。
獣人の概念は現実には(残念ながら)存在しないため、一般的にはファンタジーの世界になってしまいます。
それを乗り越えてこそ、ケモノ文学が一つの文学として成立するんじゃないかなって考えるわけです。
その擬獣化の壁を超えていないがために、「もふもふ文学」はケモノ文学ではないと感じたのかなと。
その一方で、まだケモノ文学は一般的に成立していないジャンルなのだと思わされます。
逆にいえば、そこにこそポテンシャルがあるわけです。
JMoFのケモノストーリーコンテストから始めたこのムーブメント、なんとか大きくならないかなあ。